2011年5月12日に開催した拡大推進委員会で、「どうすれば仲間が増えるか」、「今、中小業者が求めているものは何か」、「吹田民商の魅力は何か」等を自由に議論しました。そのなかで「商売、人生、民商運動を語ることが大切ではないか」との発言があり、それを受けて、2年後の50周年に向けて皆が交代で手記を書くことになりました。
E 山口 正史 さん(会長)
 早いもので、民商に入って30年になります。当時、鯉釣りに夢中で、仕事から帰ったら、毎日晩メシも食べずに、近所の池に行っていました。
 そこへ、月田さんと事務局が二人で来て、「青年部に入ってや。ついでに野球部にも。」と言うことで、幸か不幸か、民商運動の始まりになりました。
 世の中変えてやる、そんな大志を抱いて運動を始めた訳ではなく、楽しい仲間と、楽しく活動して、それで世の中、少しでも良くなれば「もうけもの」そんな想いでした。
 人それぞれ、民商への想い、運動への想い、色々あると思います。肩肘はらずに、自分の出来る事を精一杯、それで充分と思います。
 役職が、人間を成長さすものとは、あんまり思っていません。そういう人がいるなら、その人が元々持っている、資質だと思います。
 いろんな会議に出ていると、確かに知識は増えます。それは、人間として成長した訳じゃない。政治家や芸能人に多い、勘違い人間。どこかの知事さんもその一人です。そんなカッコ悪い、勘違い人間にはなりたくないものです。
 この企画を頼まれた時、少し悩みました。文書に出来るとしたら、民商のことぐらいかな。人生・商売は、あまり書くことがないかな。書くことがないと言うよりも、書けないのです。(特に人生は)
 でも、書けないことが、一番オモシロイ事です。興味ある人は、個人的に酒でも酌み交わしながら、私の人生観聞いて下さい。オモシロイですよ! お誘い待っています。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.815 11.7.4
D 比嘉 勲 さん(常任理事・江坂西支部長)
 吹田民商との係わりは、記帳要求で、同業者の紹介でした。彼は国会議員の秘書をしていたそうで、今でもお世話になっています。気軽に相談にのってもらっています。サラリーマン21年、自営業19年、秋には20年目に入ります。営業を始めたころは失うものも多く、生活がとっても苦しかったことを覚えています。
 3・11大震災は辛いものがあります。阪神大震災のとき、大事にしていた仕事を失いました。これから生活がよくなっていく兆しが出てきた矢先の出来事でした。そんなときに新しい取引先を紹介してくれたのが民商の役員さんでした。今でも本当に感謝しています。ほっと一息つくことができて、そこから本格的に民商との係わりが生まれた気がします。長年会員として在籍していますが、これと言って協力できずにいる私ですが、一番は人が好きで、多くの人と出会い学んでいます。暮らしと営業を守るため、原点である貧困と怒りを忘れずにやっていきます。民商運動も「なんくるないさ〜。」第48回定期総会も終わりました。一致団結して今期も頑張りましょう。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.814 11.6.27
C 竹田 洋一 さん(副会長)
 私は、小さな工場がたくさんある東大阪で生まれました。周りの友人の家も工場や業者が多く、会社勤めより自由な気がしました。「私も手に職をつけて独立したい。」そう思っている時に、たまたま遊びに行った神戸の北野坂近くの小さい美容室の前を通りかかると、店から出てきた女性がとてもうれしそうに、何度もお礼を言いながら帰っていく姿に出会いました。あんなに喜んでくれる仕事があるんやと、その場で店の人に働きたいと頼みました。外国人の方でしたが、「高校を卒業したらおいで。」と言われ、卒業後に弟子入りしました。
 4年で資格をとり、派遣の仕事で資産を蓄え、27歳で千里丘に店を出しました。民商の千里丘支部では、月田、工藤両副会長が当時も役員で、なにかと元気づけてくれました。しかし入会当時、民商が何かわからず「何でこの人ら、人の心配してくれるんやろう。」と、私は協力的ではなかったと思います。しかし、失火で家をなくした時、すぐに共済会の見舞金を持ってきてくれました。共済に入っていて良かったと本当に感謝しました。
 その後の借金問題の解決も「さざなみ」の相談会に参加することで、自分の弱点に向い合う機会になりました。今は、店の経営改善にも取り組んでいます。失敗ばかりの経営でしたが、子供2人も大学生と高校生、妻も元気です。色々ありましたが営業を続けています。民商に入っていなかったら、商売を続けてなかったと思います。
 かつて私も支えられたように、仕事に生きがいを持ち、子供を育み、家族を守る大切な仲間のために、民商運動を大きく力強い運動にすることが、私たちの暮らしと営業を守ることと、確信を持っています。
 商売の厳しい時代を迎えます。私と一緒に6月24日の経営講座に参加し、新鮮な知識を取り入れて、明日からの営業に生かし、好きな商売を繁盛させましょう。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.813 11.6.20
B 工藤 芳昭 さん(副会長)
 私の郷里は四国徳島です。祖父の代から四国の製材所相手の木工機械の販売を20人くらいの社員がいて結構広く商売をしていましたが、戦後製材所の廃業が続く中、私が小2の時に会社は倒産しました。四国と言えば弘法大師様が開場したと言われる霊場88ヶ所参りが有名です。
 徳島では古くから「お接待」という風習があります。霊場巡りのお遍路さんにいろいろおもてなしをすることです。信仰深い祖父母はお遍路さんを見たら家へ寄ってもらい、お接待をしていました。
 「門前の小僧、習わぬ経を読む」じゃないけど小学校の頃には般若心経を覚えていました。そんな中で育った私は今でも性善説を信じ、今迄に損をしたことやだまされることも何度かありました。でも、よい行いをした分だけ自分自身に良いことが帰ってくるという因果律はあると思っています。
 それは元気な体を両親から貰ったことです。小中高の12年間1日も休まなかったこと。64歳の今まで一度も寝込んだことと肩こり、胃痛の経験がありません。丈夫に生んでくれた親に感謝しております。
私が大阪に来たのは27才の時です。祖父の影響か、商売人になりたくて、高校卒業後、東京の叔父の所で8年間家庭科教材販売業を見習いました。結婚を期に郷里に近い大阪で始めたものの最初は取引先の開拓からです。すぐにはうまく行きませんでした。それで西成の日雇い労務者として20日働き10日ほど学校まわりをすると言う生活を3年しました。ちょうどその頃、幼稚園児がすべり台でかばんの紐が首に掛かり亡くなった記事を新聞で知り、ひらめきました。「そうや鞄を背負い型」にしたら両手があき、そんな事故もなくなるのでは、さっそく家庭科教材でミシン修理もできるようになっていた私は見本を作りヒット商品となりました。いまでも同型で販売しています。
 私が民商の会員になったきっかけは今から26年前のことでした。先週税務署から送られてきた「収支内訳書の提出」をです。これは大変なことになったと思ったことからです。それまで税務署に行って申告をしていた私に署員が言いました。「今年からこの書類を提出してもらうことになりました」主な取引先、仕入先、金額など言われるがまま1年目は記入して提出しました。翌年の提出時です。私の仕事は新学期用品のため1月から3月末は超多忙な時期となるため、申告の事務的負担が大変なのでどうしようかと悩んでいました。
 「税金のことなら民商に!」とビラが入っていたのを大事に持っていた私は3月13日夕方に事務所に直接相談に行きました。いまから思えば統一行動が終わってホッと一息ついていたころだと思います。局長にいろいろ教えてもらって目からウロコです。税務署員が言っていた事に従わなくても不利益な扱いをしないこと。出すか出さないかは本人が決める事、出さなくても罰則はないことを学習し、一人で悩んでいたことが相談して本当によかったと心の底から思い、胸につかえていたものがスーッと消えた気分で帰ったことを思い出します。
 その後は大阪在住の友人や商品を扱ってもらっている販売店などに民商への入会や商工新聞の読者にと勧めてきました。また、今東日本の大震災や原発事故等の国難の時に乗じて民商つぶしを目的にしているような国税通則法の改悪や震災以上の大激震、消費税の10%〜15%へと増税を企んでいる政府に対し、署名を増やし、民商仲間の拡大ではね返したいと思っています。いま立ち上がらなければ業者はつぶされます。自分の営業と暮らしを守るために一人でも多くの仲間をふやす事をみなさんでやりましょう。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.812 11.6.13
A 岸田 進 さん(常任理事・千里丘支部 支部長)
 私の身内はほとんどが商売人で、親父だけがサラリーマンでした。幼少の頃から叔父の仕事について行き、色々な仕事を見てきました。高校を卒業する頃には物造りに興味があり、溶接の免許を取得しました。その後タクシーに跳ねられ3ヶ月入院で夢も仕事も無くなり、その後転々と職を変え、今日の内装業アクトメンテを経営しています。
 以前は法人で多額の負債を負い、家族皆に大変な迷惑をかけました。家族と話し合い、私は一人でゼロからの再スタートをきりました。人生は山あり谷ありといいますが、本当に世の中うまく行きません。商売経営について毎日毎日が忙しくてなかなか冷静にふり返る暇がなく、そんな折吹田民商で経営塾があり、参加しようと思いました。経営塾ではまず経営の基本を学び、経営者は労働者とは違い自分で何でも決定ができるし、人を幸せにする為に発展させ未来に生かす責任がある。お金儲けばかりが商売ではないと勉強しました。この商売はクレームの多い仕事で、クレームがあれば直ぐに連絡を取り、すぐに対処することが信用度売上げのアップにつながります。いかに環境が厳しくても、自分の強みを生かして道を切り開くのではないでしょうか。
 私は民商運動は人助けと思い参加しています。4月末にお客様からの電話と思い込み、照明器具を見てほしいと言われ家で待っていましたけれど、私の家の道を教えてもなかなかこられませんので、「ガレージのシャッター開けているので中に入れて置いてください。」と言い残し、仕事に出て行きました。途中で気になり彼に連絡したところ、照明器具ではなく彼は帳面をつけているので見てほしいと言っておられたので、聞き間違いに気付きすぐに引き返し帳面を見て驚きました。申告をしておられなかったので、直ちに民商本部に電話し民商へ行ってもらいました。何日か後に会員になられたと聞き、彼の家に訪問しましたところ、夫婦で出迎えてくださりありがとうと喜んでおられました。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.811 11.6.6
@ 土井 江 さん (副会長・拡大推進委員長)
 私の商売は麺類の製造卸です。両親が戦後の苦難を乗り切り、店を始めて60年になります。昭和64年に帳簿一切を投げ出され、自分がするようになりました。平成を迎え、波乱万丈の時を迎える事になりました。住まいの改装に住宅ローンを組んだのが苦難の始まりです。食い物商売だから大丈夫、この甘さが人生どん底を迎えることになりました。
 実際、商売の方は政府の構造改革・規制緩和の影響と消費税増税で、廃業する顧客が増え、売り上げを維持できなくなり、そんな折、悪徳不動産業者に騙され、譲渡所得の税務調査に遭い、莫大な課税が発生しました。この時の調査には支部役員・会員・事務局の立会いの下、納得いく調査が行われたと思います。また、悪徳不動産業者との交渉でも調査に立ち会ってくれた事務局と役員の手助けで、公正証書を作成する事まで出来ました。そもそも、私は民商は税金と金融問題の相談が専門業務だと思っていたので、事務局の交渉に同伴させて下さいとの何度もの申し入れを断っていました。結局は交渉に参加していただき、府税事務所、警察署に出向き、相手の態度を変える事が出来ました。私の様々な問題の解決の途中に彼は吹田市の国保課との交渉に参加させてくれ、減免制度の重要な事、本当に困っている人になくてはならない制度であることを私に教えてくれました。これが私が役員として目覚めていく過程の最初だと思います。要求ある者が先頭にありとあらゆる要求問題に入り込んでいく事で、困っているのは自分だけではない、様々な人が何らかの悩みを持っておられる、それをみんなで団結して解決していく団体、これが民商だとわかりました。
 要求の問題に関わりながら、問題も見つめなおすことが出来つつあります。今はどん底のこの生活から商売・くらし・家族をどう守っていくのか、この文章を書きながら考えています。ありとあらゆる事が思い浮かんで目頭が熱くなっています。昨年の税務調査では、投げやりになっている私をはげまし怒ってくれた多くの役員の方々に本当に感謝しております。今自分の商売は役員・事務局のすすめで宅配うどんを始めて、多くの会員に支えられて商売を続けています。本当にありがたいです。何故もっと早く自分の商売を見つめなおすことができなかったのかと反省しております。でも手遅れではないと思っています。まだまだ人生は長いのです。苦難はあるけど民商がある限り商売は続けられると思います。
 業者をしていて良かったと思います。お父さんありがとう。突然すいません。父が亡くなる2日前に私に大変な商売を継がせたなぁと言ったことを思い出しました。人生当たってくだけろ!弱い者いじめはするな!人に頼まれたら断るな!上を見てもきりがない下を見てもきりがない!よく言っていた言葉です。私はあなたの後を継いで民商役員になっています。天国の父へ届けて下さい。
 つい最近ですが支部会員の住宅ローンの引き下げに銀行交渉に役員だけで交渉してきました。結果はどうかわかりませんが、話を聞かすことができ、銀行に業者・民商の考えが伝えられたと思います。役員であって良かったと満足しております。事務局抜きでやったことで味わえた満足感でしょうか。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.810 11.5.30

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